1913年生、愛知県豊川市出身。農家で生まれ、旧制中学校入学。父親の入院費用のため、自分の意思で退学。事務職員、代用教員、独立歩兵ののち、教職に復帰、退職後、会社の総務職に就任。退任後、不戦兵士・市民の会 東京支部に入会。後に東海支部へ(代表も勤めた)。ある時、遺族の人たち27名で、戦場の地だったボルネオに寄贈品を届けに行くと、そこでは歓迎の席が。あわてて、13万円の緊急募金をしたそうだ。そこで歌われた荒城の月(日本語)は今でも思い出の曲である。人と人のつながりを大切にしている鳥山氏らしいエピソードである。
みんなちがって
みんないい
「君たちは、15年戦争を知っているかな?」戦争なんて、歴史の時間にしか教えてもらわない私たち現代人にとって、あまり、身近なものではない。そんな現代人が社会の中心を担うようになったことに少し不安を覚えているようだ。
昭和19年、戦況悪化により、ついに召集命令がかけられた鳥山氏。「戦争は人間を捨てなければならない」だが、彼は、絶対に、自ら人を殺そうとはしなかった。「人を殺すことは人間でなくなること」これが、この時の彼を支えていた。
平気で兵補すら殺してしまう日本兵に比べ、捕虜をも平等に扱ってくれる連合軍。彼らが、差別をしない理由は、国際法にあった。国際法には、怪我人・降参者を殺してはならないとされており、彼らは、それを守っていたのだ。そんな彼らの優しさを今でもはっきり覚えている。
人間の基本とは、「生きていることに感謝し、植物や動物などの命も大事にする。また、個性を尊重し人を見かけで判断しない。」ことだと、鳥山氏は語る。子どもたちに戦争の体験を聞かせることで、少しでも、戦争の悲惨さ、国際法の大切さを理解し、人間の基本を持った大人になってほしいと願っている。
代表的な講座タイトルと対象年代
「死の島ラブアンからの生還」(中学生〜高校生向け)
|