昭和35年3月13日名古屋市生まれ。昭和53年同志社大学文学部に入学。在学中は同志社大学応援団に在籍、四回生時に第74代団長に就任。昭和59年株式会社リクルートに入社。平成元年10月愛知県江南市に小中学生のための学習塾『大志塾』を設立。平成4年10月『株式会社モノリス』社名登記。同4月『特定非営利活動法人(NPO)スポーツフォーラム愛知』設立。現在、日本テレビ『マネーの虎』・東海ラジオ『教えて団長!子ども応援団』出演中。
「ぼくが僕であり続けるために、誰のことも見捨てたくない」
人生の応援団長が行く。
「この人、どこかで見たことがある」と、彼の顔を見て、そんな風に思う人も多いだろう。成功を願う志願者が、すでに成功した起業家(通称・虎)に対し出資を迫る人気テレビ番組「マネーの虎」。この番組に虎のひとりとして出演中である。
岩井良明氏、43歳。
江南市出身、東海中学・高校卒業、同志社大学中退。
29歳で友人3人で立ち上げた塾からスタートし、現在はひとことでは語り尽くせないほど
さまざまな事業を手がける株式会社モノリスに成長させてしまった。起業家とは、ビジネスをうまく転がす人ではない。ビジネスに心をのせて相手にその熱い思いを伝え続けることができる人である。だから仕事を見れば、人生がわかる。
そこには、2つのキーワードがあった。
「応援」と「挫折」。
挫折を知っている人だからこそ、困っている誰かを応援したくなるのか。自分のためだけじゃなく相手のためにも頑張らなければと思うから、挫折をエネルギーに変えていけるのか。
どちらにしてもそのふたつが彼の人生を彩り、彼に元気を与えていることは間違いない。
彼の講演を経験してほしい。「こんな人がいるんだ」そんな驚きだけでも構わない、この日、岩井氏の人生への情熱にほだされてほしい。本当はひとりひとりと膝をつきあわせてしゃべりたい、ひとりひとりの悩みを聞いてあげたい、そんな思いを抑えての熱い講演会となるはずである。
相手と自分のために、全力で応援する人生。
「いやぁ、今度ね。芸能プロダクションを始めることになっちゃって…」。
ニコニコと語り始める岩井良明氏。一体この人の本業は、なんなのだろう。
塾の経営からスタートした起業家である。塾の経営が順調に進み始めると、今度は他の塾や予備校・学校のための広告事業を興した。この矛盾がわかるだろうか。自分も塾を経営しながら、他の塾の生徒募集広告の企画・制作をしようというのだ。つまりはライバル塾の仕事を応援しようということだ。
「ひとり勝ちしたって、つまんないでしょ」
岩井良明とは、そういう男だ。そしてその無謀な戦略が評価され、広告事業は成長し続けている。進学塾の事業をしながら悩んだことがある。「受験に勝ち抜ける子どもを育てることだけに注力していていいのか?」
塾に来ている子どもたちの中で、自分の気持ちをうまく表せない子どもや、人の気持ちがわからない子どもたちの『心の応援』ができないだろうか。そんな思いから作文教室など、『感性教育』を行うスクールを開設した。
「裕福な家庭の子だけが特別な教育を受けられるのはおかしい」
高い授業料をもらっている塾の経営者が言うべきセリフではない。しかしそれでも、岩井氏の思いは止められない。
「筋が通っているか、通っていないか。それが僕の選択基準だから」
儲けを注ぎ込む形で、特定非営利活動法人(NPO/自分たちの利益を追求せずに社会的な役割を担う団体)教育支援協会の理事となって活動している。誰もが豊かな教育が受けられるような世の中を作りたい。
テレビ番組・マネーの虎「出演」。他の出資者が二の足を踏んでも、たったひとりで出資すること数知れず。
「プランの善し悪しよりも、その人個人を見ている。この人なら夢に向かって頑張っていけるだろうな、一緒に仕事をして楽しいだろうな、僕の気持ちを裏切らないだろうな、と思うとつい応援したくなってしまうんです」
出資者として儲かるかどうかは、二の次なのだという。
そして、今回は芸能プロダクションである。たまたま東京で見た芝居が面白く、名古屋公演のスポンサーをする予定だったが、そのプロダクションが倒産。主演の役者だけが残されてしまった。そこで、彼を含めた数人の役者のプロダクションを引きうけることになってしまったのだ。
「主役の役者の目がいいんだよね。まっすぐ高い目標を持っている。彼を見ていると、応援せざるをえない気持ちになってね。」
2月には、飲食店も出店する。単なる飲み屋さんではない。まだメジャーデビューできていないアーティストなどが発表の場として使えるステージもある。情報発信の基地として、若手アーティストを応援する場所として、この店を使っていきたいという。
さて、ここまで岩井氏の手がける事業を幾つか並べてみた。彼の仕事から、彼の人生が見えただろうか。まったく異なって見える事業の共通点が見えただろうか。
そのキーワードは、「応援」。
先日、ある占い師に言われたという。
「あなたホントに他人のために仕事してるようなものね。お金は入ってくるから会社はつぶれないけど、苦労が多いよね。でも、それがあなたの人生だから」
実は、そんな占い結果を告げられたことは、一度だけではないという。
「人助けなんて言葉はいいたくないけど、困っている人がいるのに、その場から逃げたくない。そこで逃げたら、俺の人生最悪だ、と思っちゃうんだよね。もちろん、逃げるのはカンタン。きっと今回のプロダクションの話だって、100人の社長に申し込めば99人が逃げちゃうと思う。業界のことだって何も知らなくて、どう考えたって大変なんだからね。でも、1人でも受けるヤツがいるならば、僕はそのひとりになりたい。主役の子にも言ったんです。『これを引き受けるのは、お前のためじゃない。悪いと思う必要なんてないよ。僕が自分の道を貫き通すためにやるんだから、僕自身の選択なんだ』って。実際はじめてみたら知らないことだらけで、頭下げまくっているんだけど。楽しいよね」
早く挫折を感じた人間こそ、
それをエネルギーに早く成長できる。
小学校では児童会長もつとめ、地元では『神童』と呼ばれていた岩井少年は、大変な教育ママだった母に勧められるまま東海中学を受験し、母親の期待通り合格。ところが、中学最初のテストでは何と450人中340番という結果だった。
それもそのはず。1クラス50人の中で、実に40人が小学校の児童会長経験者だったのだから。それまで自分より優秀な同級生に会ったことがなかった彼のはじめての「挫折」。
それをきっかけに一度は奮起して13番になるが、『やればできる、やらないだけ』と思ってしまってからは成績も急降下。中3の時には、悪友たちと『いろいろな遊び』を覚えてしまったという。
高校に入ってからの彼は、悪友と遊びを続けながらも、全く違う世界に飛び込んだ。LABO(ラボ)という英語を使った国際交流の組織に属し、中部地区2万人のリーダーとなる。また家では小説にのめりこみ、作家をめざす。3年間、同じ女性にほとんど毎日手紙を書いていたりもした。それぞれの世界に全く違う彼がいた。
「周りに流されてましたね。ホントはLABOが心のよりどころだったんだけど、そこでトレーナー着て英語で演劇してるだけだと、何となくカッコ悪い。学校の友人に仲間はずれにされたくなくて、心と違う行動もたくさんやっていた。いまの僕みたいに『これが自分の道だ』ってはっきりと選択はできなかったから。そんな自分もイヤだったし、あの頃は他にもコンプレックスがいっぱいあったね」
相変わらず優秀なクラスメートの中で、成績もふるわない。おまけに医者や経営者の息子が多く、みんな金持ちだった。普通のサラリーマン家庭で育った彼は、流行の服を惜しげもなく買う友人たちを見て、「家が金持ちじゃないと一生ダメなのか?」とひがんだこともある。しかし、もっとショックだったのは、彼らをひがむ自分の心の貧しさに気づいたこと。お金だけじゃなく、僕は心までも彼らより貧しい…。
お金では名家の友人たちには勝てそうにない。そんな思いから、ビジネスの世界ではなく作家を目指したこともある。
「でもね、作家という孤独な仕事にどうも耐えられそうにないと、これも挫折(笑)」
そんな頃に大学に入学、先輩に強制的に勧誘され入ったのが応援団である。また流されてしまったのか、入るべくして入ったのか。どちらにしても、彼の応援団体質はここで徹底的に鍛えられることとなった。
ところが、彼が団長に就任してすぐに下級生が起こした不祥事により、学校側から団は解散に追い込まれる。自分の勉強も就職活動も投げ打って、2年間再建活動に没頭。応援団の再建を果たしたその日、夕陽を背にして大学を去り、そのまま中退。
男を通したカッコ良すぎる去り方だが、実際にはこれがまた新しい挫折感を生む。
地元に戻り、契約社員として大手情報出版社に勤めるが社員名簿の学歴欄は「高校卒業」。他の正社員は、有名国立・私立大学ばかり。「絶対こいつらに負けるもんか」
コンプレックスからの脱却が大きなエネルギーに変わった。全社のトップ営業マンとなり、そして正社員に。その後、独立して塾を開くが、この会社でのビジネス経験が、起業家へのステップとなったのは間違いない。
「何か変わったことをやっている起業家、たとえて言えば『マネーの虎』に出ている社長たちのほとんどが、大学出ていないんだよ。中卒とか、高卒とか、僕みたいに中退とか。それが意味するのは、みんな何らかの大きな挫折を体験しているってこと。みんなどこかで挫折を『負けてたまるか、何とかしなきゃ』というエネルギーに変えているんだよ。
そういう意味では、早く挫折を感じた人間こそ、早く成長する。高校受験で失敗して、第一志望の学校に行けなかった者もいるだろう。あるいはこれから大学受験に失敗する者もいるかもしれない。でもね、それは這い上がるチャンスだから。その現実から逃げずに、踏ん張ってみろ。どうせオレなんてダメだ、と投げずに何か頑張ってみろ。絶対に、次が見えてくるから」
そして最後に、内緒でひとことだけ話してくれた。
「いろんな経験をしてきたけれど、僕の原点は高校時代の何百通ものラブレター。あれがいまの僕を作っている。僕のことを『いいお兄さん』としか思ってくれない彼女に、自分をわかって欲しい、そして彼女をもっとわかりたいと書き続けたこの何百通が、自分や相手の思いを考える姿勢を作ってくれた。メールでも構わないよね。僕はいまでも1日に50通は携帯でメールを送るよ。文字制限いっぱいになって10通連続で出したこともある。自分の気持ちは自分で伝えようとしなければ、伝わらない。相手とわかりあうために、必死に語ってごらん。人と人がわかりあうことの大切さが本当に心で理解できるから」
[取材・文 平田 節子/写真 山田 亘]
授業改革フェスティバル
愛知私学ようこそ先輩
岩井良明講演
2004年2月15日 (日) 10:40 〜 11:40
名古屋大谷高等学校にて
お問い合わせ:052-881-4346 |