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1975年5月13日愛知県名古屋市生まれ。国立名古屋大学教育学部付属中学・高校卒業。中学2年生から高校1年生まで素人として出演したNHK名古屋『中学生日記』がきっかけで、18歳の時TBS『アリよさらば』で本格的デビュー。黒沢清監督映画『回路』で2001年カンヌ国際映画祭・国際批評家連盟賞受賞。2002年ベネチア映画祭正式招待作品・天願大介監督映画『AIKI』主演。他、TV・CM等で幅広く活躍中。2001年自身の半生を描いた『フレンズ』(講談社)を出版。

いつも自分に正直でいたい。
昔も今も仲間と一緒に、まっすぐに、進むだけ。

高校の新入生オリエンテーションで、
ある教師がひとりの生徒を立たせてこう言った。
「いいか新入生。みんな、こういう風にはなるな!」

そこにいる全員の視線の先で、
ひとり立たされた生徒が屈辱と怒りで肩を震わせていた。
16歳の加藤晴彦、である。

名古屋で生まれ育ち、ドラゴンズを愛する生粋の名古屋っ子。
加藤晴彦、28歳。そしていまや、テレビで彼を見ない日はないというほどの売れっ子芸能人である。
彼の名前を聞いた時、あなたはどんな「加藤晴彦」を思い出すだろう。
バラエティ番組で見せる明るくコミカルに笑う彼だろうか、
あるいは人や動物の愛情に目を赤くする表情?
それとも映画やドラマで演じた熱く一途な姿…。
人によって彼の印象は大きく異なり、
「加藤晴彦」という俳優の姿は、つかみどころがなく映る。
本当の「加藤晴彦」とは?

過去は過去として葬るために、あえて何も語らない芸能人は多い。
しかし2001年12月、彼は一冊の本を出版した。『フレンズ』(講談社)。
小学校から中学・高校・大学までの毎日、そして芸能界デビュー、
売れてからの苦悩まで素顔の「加藤晴彦」を語りきった本である。
「芸能人・加藤晴彦」を応援してくれる人すべてに、
本当の自分自身の魂を知ってもらいたい。
たとえそれが、イメージを壊すことになっても…。

クラスの中でリーダー的存在で負けん気が強かった小学生が、
中学に入ったとたんに成績は下からひと桁、短ラン、ピアス、タバコにケンカの毎日。
しかし、ふとしたきっかけから、少しずつ芸能界との結びつきが強くなり、
次第に大人になっていく。
人との出会いが軸となって彼の人生が変わり始める。

遠い将来なんか、わからない。
目の前に昇っていける階段があるのなら、昇り続けていくだけ。
いまこの時を大切に、仲間達と共に。
やんちゃな時代と変わることのない熱い魂を持って。

11月3日、加藤晴彦が
本音で語りに戻ってくる。

中学・高校時代は ただ毎日ハジけたかった。
仲間たちと楽しみたかっただけ。

正直に言えば、とくにオレは不良なんだと意識することはなかった。というか、そんなやつらはダサイとさえ思っていた。オレはただ毎日、ハジけたいという気持ちを持っていただけだ。大切な一日を楽しく過ごしたくて、周囲を気にせずやってきたというだけだ。(加藤晴彦著『フレンズ』より抜粋)

中学1年から短ランに裾の細いボンタン、耳にはピアス。授業をさぼってタバコを吸って、バイクをパクって走り回った。夜中に売店に盗みに入ったこともある。ありとあらゆる校則をやぶり、小学校時代は良かった成績もアッという間に学年で下から一桁。

人気者がよくここまで赤裸々に語ったものだと思うほど、『フレンズ』には彼のやんちゃな青春時代が書いてある。たぶん、すべて真実なのだろう。反抗したり、イライラすることに、何か大きな理由があったわけではない。誰にだって、大なり小なりそんな時期はあるものだ。みんなが同じであることを強要する校則や、勉強は無意味に思えただけ。自分に正直でいたいから。自分なりに考えた「やっていいこと」と「いけないこと」、その線引きの中で楽しんでいるだけだと思っていた。

悪い先輩たちと遊んでも、自分がボロボロになるシンナーやクスリはやらない。バイクは盗んでも、走り終わったらまた元あった所の近くに置いておく。売店には侵入しても、小さなモノの万引きや、弱そうなヤツのカツアゲはしない。
「しようもない悪さはしない」
そんな彼なりの線引きがあった。しかし、それはあまりにも小さな世界であったことを、彼は次第に気づいていく。

「今なら、どんな盗みでも大なり小なり被害者がいて、悲しい思いをすることは想像できる。社会に出る前に学校という大きな集団生活の中で、ルールを守りながら生きていく訓練をする必要性もわかる。でもね、中学の時のオレは、自分の線引きが間違っているなんて思いもしなかった」

しかし彼はこの中学時代に、何にも勝る宝を手に入れた。友だち。いまも互いに会えば、十数年の時間を経て気持ちはあの頃にスッと戻る。「忙しくてなかなか会えないけどね。会える時に会えればいいじゃん、って感じの仲間」
中学校という場の意味は、彼らと出会う場所だった。

高校に入る頃には、自分の中で許せる”やんちゃ”はすでにし尽くしていた。高校進学で人生を少し考えもした。しかし人はそう簡単には変われない。ましてや他人からの評価は、もっと変わらない。高校の新入生オリエンテーションの時に、ある教師がこう言った。
「加藤晴彦、立て。いいか新入生。みんな、こういう風にはなるな!」

その時の怒りと屈辱を、彼は今も忘れない。しかし他の新入生の視線を浴びながら、彼は耐えて立ち続けた。なにかが少しずつ変わりはじめていたのかもしれない。

芸能界への最初のきっかけは中学2年生の時、クラスの仲間と軽い気持ちでNHKの『中学生日記』のオーディションを受けたこと。与えられた役は、ヤンキー生徒の役。一番後ろにドーンっと座って、せいぜいひと言、ふた言セリフがあるだけ。軽い小遣い稼ぎにしか思っていなかった彼は収録も遅刻をし、文句ばかり言っていた。

「プロ意識なんてなかった。今考えると、恐ろしいくらい。中学生日記の頃も『僕は将来こういう俳優になって』って熱心に通っているヤツらを『へぇ〜』って眺めてた。みんな絶対遅刻もせずにまじめにやってた。ヤツらは教室の優等生と一緒。でも『こうなりたい』『これを目ざす』と公言するのは、夢というよりも、頑張ってます!っていうアピールにしかオレには思えなかった。そんなのは暑苦しいし、ダサイ。でもね、じゃぁオレの方はどうかというと、正直言うと何かになりたい、なんて思ったことがなかった。別に見つけなきゃいけないとも思っていなかったし。芸能界でやっていくつもりなんて、サラサラなかった。やる気がなかったわけじゃないけれど、名古屋でそこそこ食べられる仕事をして、結婚して子ども3人ぐらいいればいいかな、って」

ところがあるディレクターが彼を見つけ、ある回の主役にしてくれた。それがきっかけとなってNHKスペシャルドラマに抜擢され、この時に現在のプロダクションの社長と出会う。

こうして小さなきっかけが新しい出会いを生み、糸のように細いつながりが少しずつ太くなっていく。また多くのプロたちに囲まれ、大人たちが一生懸命にひとつのものを作り上げる現場を目の当たりにしたことも、彼を変えていく。

決定的な出会いもあった。高二の担任教師は、他の教師とは違って彼を認める一方、彼を本気で殴った。雨が降る中、校門で彼を待ち、思いきり殴った上で、泥だらけになった彼と一緒に他の教師のところまで謝りに行ってくれた。そのお陰で彼は留年を免れた。

「今だったら体罰だって大問題になるかもしれないけど、オレにはそれがわかりやすかった。オレは人にかなり恵まれてたと思う。そのメチャクチャ怖かった担任の先生、それから中学生日記で僕を認めてくれたプロデューサーの方、その後出会った今の社長。みんなオレのために怒ってくれてるんだ、ってことが伝わってくる人達だったんだ」

とはいえ、高校時代もまだ友達と遊びたいばかり。せっかく映画の仕事が入っても遅刻したり、居眠りしたり。気持ちは名古屋で友達と遊びたいばかりだった。現場で叱られたりイヤな思いをしたり、逆に思いがけぬ優しさを受けながら、彼は次第に「大人」になり始める。

遠い将来ばかり夢見ていると、今日の焦点がぼけてくる。
大切なのは目の前にあるステップをひとつのぼることなんだ。

「自分で一歩歩き出しても、次のレールはできていない。自分で作って渡らなくちゃいけなかった」

高校卒業後、ドラマ出演のために大きなバッグひとつで上京したが、マネージャーもつかない日々。生来の負けん気から、ひとつひとつ降りかかる困難もなぎ倒していく。ダメなら休学扱いにしていた大学に戻ればいい。そんな思いも何度も頭を持ち上げたが、少しずつ芝居の面白さにのめりこんでいく。

しかし、売れ始めてテレビやCMでひっぱりだことなった99年の後半から2000年の前半、彼は一度芸能界から足を洗うことを本気で考えたという。自分が自分でなくなる不安。「芸能人・加藤晴彦」としての時間が増え続け、自分で自由になる時間は全く取れない。

中学・高校時代は決してひとりの時間はなかった。仲間と一緒につるんで、遊んでいることが面白かった。しかしこの頃から彼は、できるだけ自分ひとりの時間を大切にするようになる。自分が素顔の加藤晴彦に戻るために、ひとりの時間が必要となっていた。今の自分の気持ちに正直に生きるためには、自分を見つめることも必要だった。

自分が仕事を辞めることで、どれだけの人に迷惑をかけるのか。「芸能人・加藤晴彦」はすでに彼だけのものではなかった。社長、マネージャー、メイクさん、スタイリストさん…。彼らのために自分を犠牲にするわけではない。しかし。彼らと一緒ならやっていける、そんな気持ちになってきた。芸能界にも相談をできる先輩たちがいた。

そして今、テレビで彼を見ない日はないほどの売れっ子である。彼は何を目ざして、いま走り続けているのか。

「将来の夢を持つことは素晴らしいとは思う。でもね、あんまり遠いところばかりを見ていると、実際に見るべきものの焦点がぼけちゃうんじゃないかと思う。あんまりすごいところばかり狙うと、すぐ先のことができなくなって、結局全部がボロボロになっちゃうんじゃないかと。だから、いま仕事を受ける上でも、この作品をこうしたい、とは思っても、僕は将来こっちに行きたいから、この作品を利用してやろうとかは思わない。僕は考えの巻き戻しはしないんですよ。一番近く、今何ができるかしか考えない。それが昇るっていうことだと思う。先に二段のぼって『ここからだと何が見えるだろう』なんて見回してから、一回おりてもう一度のぼるなんてことできないでしょ。のぼってみないとそこで何が見えるかわからないけれど、目の前の最初の階段をのぼるしかない。そうやって僕は進んできたし、きっとこれからもそうして昇っていく。仲間達といっしょにね」

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