希望と絶望を繰り返し、
振り子のように人生は続いていく。
事故から2ヶ月のある日、彼はふたたび両眼から差し込む光りを感じた。まぶたの植皮のために縫い閉じられていた両眼の抜糸を受けたのだ。暗闇から希望の世界への生還。復帰を賭けた第一歩のつもりでいた。しかし、それは初めてじぶんの身体と顔を見るまでだった。夢は絶望に変わった…。
焼けこげた木炭のように黒くてぼこぼことした皮膚。右足のすねには、大きなな穴がぽっかりと口を開け、赤い肉と白い骨のようなものが見える。右手は指がふくれあがり、特大バナナの房のようだった。鍛え上げていた筋肉質の身体はその面影もなく、骨と皮だけの棒。
鏡に映る自分の顔には、パーツがない。のっぺらぼうのような顔の真ん中に、ふたつの穴が開いている。
これは何という生き物なのだ?
本当に悲しかったのは「痛み」ではなかった。
変わり果てた自分の姿を見るまでは、想像を絶する熱傷治療の痛みにも、耐えてきた。「もう一回、レースに復帰してやる」と復讐心にも似た思いに支えられてきた。しかし鏡の中の自分に「もう一回、再びはないんだ」と知らされてしまった。いま痛みを耐えて努力することにどんな意味があるんだ?自分が存在する意味なんてない…。どれだけぬぐっても、悲しみだけが降り積もっていく。
そんな中でも家族や周囲の人たちに支えられ、十数回の手術やリハビリを耐え、心と体の痛みは少しずつ癒されていく。過去の自分と比べて過酷な運命を「なぜ?」と問うのはやめて、あの事故は「新しい誕生日」だったのだと気づく。
ベストセラーとなった『クラッシュ』は、新しい人生を受け入れ、深く暗い絶望の中から立ち上がっていく物語だった。
『クラッシュ』出版以後、講演を依頼されることも多い。人前で自らを語ることはあまり好きではない彼がその依頼を引きうけることは少ない。しかし中高生向けの講演だけは、何か別の使命感のようなものを感じて出かけていく。
これから大人になるにあたって、自分には何ができるんだろうと悩んでいる子。自分なんて価値がない、できることがない、と思っている子。どうやって将来を築いていくのか不安に思っている子…。彼らの姿が自分と重なる。
すでに彼は、5年もそんな世界にいる。その中で自分でも信じられないほど、医師も驚くほどに身体は回復している。怒りや悲しみの呪縛から逃れ、小さな喜びや幸せを感じるようになった彼がいる。
「今できないからといって、その先も何もできないとは限らない。自分がそんなヒントになればと思うんです」
そんな思いも込められた、2冊目の本のタイトルは『リバース』。Re・Birth、再び生まれるという意味である。『クラッシュ』以後の事故後1年から3年目のサーキットで復帰セレモニーまでの物語である。
本当に書きたかったのは、2作目にあったのかもしれない、と彼は思う。
過酷な運命と、自分ができないことを受け入れていくのが『クラッシュ』だった。そこから、できることを探していくのが『リバース』。そこには喜びがある。
「新しい自分の誕生だ、さぁ行くぞ!」
と思っても実際に社会に復帰するにはたくさんのハードルがある。ひとつを乗り越えると次のハードル。映画や小説のように、ハッピーエンドの場面で終わらないのが人生だ。
自分には何ができて何ができないのか。今できないことの中にも、立ち向かっていくべきこともあれば、受け入れざるを得ないこともある。その境界線を見つけていくことも勇気である。「でもね、」と彼は言う。
「できないことを数えて受け入れるよりも、たとえハードルは高くてもできることを獲得していく方がずっと楽しい」
歩けなければ、走ればいい。
できないことを数えるよりも、
できることを探していこう。
「人生はすべてハッピーだ、なんて言うつもりはないよ。人生は振り子時計みたいなものだから。楽しいことと辛いこと、希望と挫折の中でいつも揺れている。僕が伝えてあげられることは、一生ここから這い上がれない、そんな錯覚に陥っても、必ず戻れる時がくるってこと。大切なのは自分で変えていく勇気を持つこと」
せっかく希望のしっぽをつかんでも、またすぐに逃げていってしまうかもしれない。そしたらまた、つかみ直せばいいだけだ。
事故から1年、機能回復のリハビリを続けていた彼は、ある日リハビリ中止宣言を受ける。
「これ以上、回復の見込みはありません」
また希望の女神はそっぽを向いて立ち去ってしまった。それからしばらく、彼は引きこもり状態になる。インターネットで同じように引きこもる仲間たちの中に居場所を見つけ、マンガ喫茶で時間をつぶす。
「オレ、このままでいいのか?」
密かに近所の病院に通い、医師に内緒で車の運転を始めた。半年ほどたつと身体に明らかな進化が見え、リハビリはまた再開されることとなる。
「こういうことをやりたい、と身体に教えていくとできていくんですよね」
諦めなかった人だけがわかる真実がある。希望は見つかるものではなく、見つけていくものなのだと。
「事故の経験はあなたにとってよかったのか?」と聞かれることがある。失ったものも多いが、獲たものもある。「もう一度繰り返したくはないけれど、あながち悪くはなかったな、とも思う」
レースをやってた時は、いつもノドが渇いたような状態だった。もっと上にもっと上に。どんなに順位が良かろうと、欲求不満で満足感が無かった。しかし、いま彼は小さな幸せを大切にする。家族との時間、ふと街角で見つけた街路樹の美しさ、友人のひとこと…。
「本当はそこら中に幸せは落っこちている。それを拾い集めて、オレは幸せだ、と感じた方が楽しい、と気づいたんだよ」
新しい太田哲也として、彼はもう一度、自分の職業を探している。ふとレーシングドライバーの職業を選んだ時代のことを思い出す。「好きなことを探せ、好きな仕事をしたらいい、得意なことを見つけろ」と大人は言った。しかし彼には何が好きで何が得意なのかもわからなかった。バイトをしても続かない。集中力は高いが、ひとつのことだけにのめり込んでしまう自分にあう仕事…。そして彼はレーシングドライバーを選んだ。
こんど自分は何を選ぶのか。まだ明確な出口は見えていない。でも希望がある。
コンマ一秒を競い合うプロのレーシングドライバーに復帰することが難しいことはわかっている。しかし、彼は今もアマチュアレースに出場し続けている。3年目の誕生日に、サーキットに復帰したことは、自分と周囲の思いにケリをつけるためだった。もう一度、富士スピードウェイを走らなければこれ以上前に進むことができない「儀式」のようなもののはずだった。しかし走りながら、彼はまだ走れる自分をはっきりと感じていた。もちろんアマチュアレースで走ることに、元プロとしてのプライドが傷つかないワケがない。しかし一縷の可能性があるのならやってみなくては、もったいない。
いまできないからと言って、将来できないとは限らないじゃないか。
彼の右足は持ち上げると、いまも足首が少し下がった状態になる。装備をつけないで歩く時には太股を余分に上げることで調整をするため、多少不自然な歩き方になる。
「最近発見したんだけれど、走るときは普通になるんだよ。だって走る時には、両足とも太股をあげるからね」
歩けなければ、走ればいい。
できないことを数えるよりも、できることを探していこう。
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